
今日は8050問題を主としたひきこもりの会に参加してきた。
【8050問題】・・・「80」代の親が「50」代の子どもの生活を支えるという【ひきこもり】の問題
俺みたいな義務教育も受けなかった長期ひきこもり39歳は10年後にはほぼ間違いなくこの問題の当事者になる。
先輩の話を直に聞きたいと思って、光が丘で行われる「ひ老会」に行ってきた。
主催者は生活保護受給者だけどNHKの取材でテレビに出たり、様々なメディアで活躍している方。
この会もいつもはテレビ取材が来てたけど、今回はテレビは来なくて、他のメディアだけの取材となったらしい。
朝日新聞の方、フリーのライターさんは来てた。
まずビビったのは13人の参加者がいたけど、イスを円形状に並べた自助会のような感じだったこと。
いや、待てよと。
こんな形式で、長年ひきこもってた俺みたいなやつが12人を目の前にして堂々と話せるか?って思ったのが第一印象。
「12人の前で上手く話せるならそもそもひきこもりやってねえよ!」
って声を大にして言いたかった。
参加者はひきこもり当事者が多いかと思いきや、
・取材メディア
・ひきこもり支援施設関係者
・元ひきこもりの息子を持つ親・姉妹
・ひきこもり歴3年ほどで他は仕事していた人
などが多くて、俺みたいに20年近いひきこもり経験のある人は一人もいなかった…
同じ境遇の人がいて、俺の話も心底共感してくれる仲間がいるからと思ってきて見たら、このひきこもり界隈の中でも俺だけ浮いててショック。
他のひきこもりの方も、堂々と人前で長く話せてて、俺だけが言葉に詰まって上手く話せなかった。
進行としては、まず軽い自己紹介で13人を一周。
そして二週目は5分程度でより詳しい話。
三週目も同じような感じ。
もう話す人がいなかったり、途中で帰ったりする人もいてラスト4週目。
休憩時間無しのぶっ続けだったけど、これに対して、ちょっと言いたい。
もちろんさ、自助会みたいな形だから、それぞれ自分の話をしていくのはわかるけど、全く話し合う機会がない。
俺のひきこもりに関しての意見は、以下の通り。
・ひきこもりが免罪符として許されるのは精神疾患or発達障害と診断された場合のみ
・病院に行って診断されてない、ただのひきこもりは甘えとみなされる
・ひきこもりというのは頑張っても社会で自立して生きられる能力の無い人
・でも今はひきこもりの理由を現在の病名に当てはめなきゃ免罪符が得られない
・だからひきこもり自体を病気と認めてほしい
という考えがあったけど、そこは自分の意見だけを言う場所だから、討論には発展しない。
俺としては、この考えをみんなで討論したかった。
ただ自分の話だけをして終わったから、有意義ある話ができなかったのが個人的な感想。
確かにそれぞれの考えがあって口論に発展する危険性もあるし、問題が起きる可能性もあるけど、同じひきこもりを理解する者同士がせっかく集まったんだから、細かいところまで話し合いたかった。
こういう自助会みたいの初参加したけど、話がめっちゃ長い人がいてさ、もちろん自分の話をする会だから良いんだけど、ひきこもりと関係ないヘルニアの話を延々とする人がいて困った…
ひきこもりに関してもうエピソードないなら話すの自粛しろよと思った。
唯一、貴重な話聞けたのは2個隣の人かもしれない。
この方はADHDと診断され障害手帳の診断を目指してるけど、自分がADHDなんかじゃなく正常だと思ってること。
でも生活保護受けるには何かしら病名が必須だから、仕方なく、医師の診断を認めていること。
ADHDと診断されたおかげで、ひきこもっている時に「何で仕事しないの?」という周りからの責めに「だってADHDだから」と堂々と胸を張って答えられるようになったこと。
やっぱ免罪符には病名って一番重要だよなって改めて確信した瞬間だった。
この方は「ADHDの正体」という岡田 尊司(精神科クリニック院長)氏の著書も読んで、自分がADHDなんかではないことも知っている。
ちなみに俺もこの本を最近、図書館で借りて、大人のADHDは愛着障害だという結論に同意する。
だけど、やはりひきこもりの免罪符を得る為には発達障害ADHDは必要だと思い、この方は受け入れた。
【結論】
ひきこもり当事者がほとんどいない会だったし、一方的に意見を言うだけの会だったから、俺はもう参加しないと思う。
最初に、13人いるから、ここでみんなで話すか、テーブルを2つに分けて話すかという選択を主催者から提案されたが、俺はもっと濃密な話をして、それぞれが話し合いながら進行したかったからテーブルを望んだけど、挙手制で8割はこのままを望んだ…
テーブルでみんなで話し合いたかった。
もう参加することは無いと思うが、俺のくだらない話を聞いてくれた主催者の方、参加者には感謝したい。
ありがとうございました。